師匠は68歳、私は61歳。二人合わせて129歳になった。
それでも私たちは、また坂を上っていた。
大腸がんの手術と療養を経験した師匠にとって、今回は術後初めてとなる本格的なロングライド。
私の走行距離は82km、獲得標高933m、走行時間は4時間30分だった。
自宅から走ってきた師匠は、90kmを超えている。
コースは、佐渡国際トライアスロンBタイプのバイク対策として、以前から二人で練習した山岳コースだ。
若い頃と同じ速さではない。以前と同じ体でもない。
それでも、また二人で走ることができた。
今回のライドで私の心に残ったのは、距離でもタイムでもない。
何年もの間、少し前を走り続けてくれた師匠の背中だった。
68歳の師匠と61歳の私。二人合わせて129歳のロングライド。
師匠との出会いは、18年前の自転車ショップだった。
師匠と出会ったのは2008年だったと思う。
隣駅に新しく開店した自転車ショップのチーム練習だった。
当時、私は43歳、師匠は50歳。
ほかのチームメンバーとトライアスロンに出ていたという話を聞きいていた。
出会ったshopも移転したのだが、shopのスタッフが独立してそのshopへ通うようになり、しばらくして、私も一緒にトライアスロン向けの練習をするようになった。
師匠から最初に教わったのは、単純な速さではない。
トライアスロンには、長い時間動き続けられる体力が必要だ。
ロングレースでは、一時的に速く走れても意味がない。
スイムのあとにバイクがあり、そのあとにランが待っている。
最後まで動き続けるには、力を使い切らない走り方が必要になる。
師匠は、言葉だけでなく走りで教えてくれた。
行き過ぎず、離れすぎず、前を走ってくれた
師匠はいつも私の前を走って引っ張ってくれた。
ただし、速さを見せつけて置き去りにすることはない。
行き過ぎず、離れすぎず、「もう少し頑張れば追いつける」と思える場所を走ってくれる。
その絶妙な距離が、私の力を引き出してくれた。
今になって思う。それは自転車のペース配分だけではなかった。
仕事上の交渉術、人との付き合い方、やると決めたことへの向き合い方。
師匠はいつも少し前を走りながら、私を導いてくれた。
やることは徹底的にやる。
しかし、無理はしない。
年下の私にも自然に気を配ってくれる。
一緒に酒を飲めば、好きなスポーツやレースの裏話、学生時代のボクシングの思い出を豪快に話す。
酒が入ると、その豪快さにはさらに磨きがかかる。
自転車だけではない。
私にとっては、まさに人生の師匠なのである。
2026年は一緒に走れない——昨年末
2025年末、師匠から大腸がんの治療に専念すると話があった。
その少し前、私たちは地元のうどんメーカーの安売りへ行き、担々麺の名店で昼食をともにして別れた。
それが、治療前に会った最後になった。
『 練習を一緒にできなくて、レースにも一緒に出られなくてごめん。』師匠はそう言った。
謝る必要など、どこにもなかった。
それでも、二人でホテルまで予約していた佐渡へ一緒に行けなくなったことを、師匠は気にしていたのだと思う。
私は「一緒に行けないのは残念です。でも、一人でいろいろ経験してみようと思います」と答えた。
結局、佐渡への参加は取りやめ、私は単独で夏の沖縄のレースへ出場した。
一方の師匠は、1月に検査入院し、2月に手術。
5月から自宅療養に入り、6月には仕事へ復帰した。
仕事へ戻るのと並行して、ウォーキング、歩こう会、ジョギング、低山登山と少しずつ運動を再開。
8月には自宅のローラー台で自転車をこぎ、やがて屋外の練習コースにも戻ってきた。
病気になる前と同じではない。
それでも、自分の体と相談しながら、できることを一つずつ増やしていった。
その姿は、師匠が以前から大切にしていた「徹底的にやる。しかし、無理はしない」という生き方そのものだった。
佐渡トライアスロンBタイプを想定した82kmのバイク練習
今回走ったのは、私たちが佐渡国際トライアスロンへ向けて練習した山岳コースだ。
このコースは師匠が色々調べて、佐渡の登坂傾斜に近いと提案してくれたコース。
私たちが出場してきたBタイプは、スイム2km、バイク108km、ラン21.1km。
バイクを降りた時点で力を使い切ってしまえば、そのあとのハーフマラソンを走れない。
そのため、平地を長く走るだけでなく、佐渡のバイクコースに近い斜度の峠で練習してきた。

今回の走行データ
走行距離:約82km
獲得標高:933m
走行時間:4時間30分
師匠の総走行距離:自宅から90km超
入間市役所方面から正丸峠を登り、山伏峠を下るコース
出発は入間市の彩の森入間公園。
県道262号日高狭山線から巾着田へ向かい、国道299号を走って正丸トンネル手前の坂を上る。
そこから正丸峠ガーデンハウス、山伏峠を越え、県道53号青梅秩父線へ下る。
レストランHAMA、自由の森学園方面、阿須運動公園を経由し、武蔵野音楽大学付近の坂へ。
武蔵野うどん・ながくらで思いっきり食事をして、イオンスタイル入間方面へ戻るルートである。
国道299号、特に正丸トンネル手前は交通量が多い。
上りで速度が落ちた自転車を車が追い越せず、後方が詰まることもある。
脚の疲労だけでなく、交通への緊張も大きい。
国道299号線を走る場合は交通状況をよく確認し、無理をせず、安全を最優先にしてほしい。
万人に気軽にすすめられるコースではない。
以前とは逆に、今回は私が前を走った
集合したとき、師匠は驚くほど元気な顔をしていた。
出発前から話していたのは、病気や手術のことではない。
来年はどのレースへ出るか、その前に短い大会へ出て実戦感覚を戻そうという話だった。
ただし、走り始めれば病気になる前との違いは分かる。
平地でも一定以上の速度になると苦しそうだった。
なだらかな上りでペースが落ち、表情が厳しくなる場面もあった。
そこで今回は、私がほぼずっと前を走った。
師匠の呼吸や表情を気にしながら、速度を上げすぎないようにコントロールした。
数年前に走っていたのは師匠だった。
行き過ぎず、離れすぎず、私が頑張れるペースで引いてくれた。
今回は、その役目が私に回ってきた。
体力はまだ戻り切っていない。
それでも練習したい。
その気持ちに応えたかった。
速く走ることではなく、二人で最後まで帰ってくること。
それが今回の私の役目だった。
息を切らしても、坂を上る根性は変わらない
驚いたのは、師匠がすでに登坂できる体力を取り戻していたことだ。
息遣いは荒い。
それでも、坂になると根性で上ってくる。
病気になる前なら、体力もスピードも私より上だった。
普通に走れば、余裕で私の前へ行っていた人である。
以前より速度が落ちたのは事実だ。
しかし、2月に手術を受けた人が、数か月後にはここまで走れるようになっている。
ウォーキングから始め、ジョギング、低山登山、ローラー台、屋外走行と積み重ねてきた。
その過程をStravaで見ていたからこそ、目の前の走りがどれほどすごいことか分かった。
最後の坂で、師匠はまた私の横にいた
正丸峠のメインの上りは、私も問題なく越えられた。
ところが、脚にきたのは後半だった。
武蔵野音楽大学付近の坂で、私の脚がつりかけた。
確かに斜度は楽ではないが、すでにヘロヘロである。
その私の横に、師匠がぴたりと並んだ。
抜いていくわけではない。
平気そうな顔をして、こちらをあおってくる(笑)。
病気になる前は、師匠が前から私を引っ張った。
今回は私が前を走って師匠のペースを守った。
それでも最後の坂では、師匠がまた私の横にいた。
結局、師匠は師匠のままだった。
佐渡Bタイプへ6回出場した、二人の記録
私と師匠が初めて一緒に佐渡国際トライアスロンへ出場したのは2016年だった。
それ以降、2017年、2022年、2023年、2024年、2025年と、コロナ禍を除いて毎年のように佐渡へ渡った。
私は6回出場して5回完走、1回DNF。
師匠は6回すべてを完走している。

【2016年のFINISHゲート】
2016年は、夢だった佐渡国際トライアスロンを初完走
2016年は、私にとって初めての佐渡だった。
師匠は、ロングの大会がどういうものなのかを教えてくれた。
気温33度の中でランを走り、ようやくフィニッシュゲートへ戻った。
夢だった大会である。
ゴールした瞬間には泣くのではないかと思っていた。
しかし、実際には涙よりもうれしさのほうが大きかった。
【2016 FINISHERメダル】
涙が出たのは、2022年の10時間59分だった。
私が佐渡のゴールで初めて泣いたのは、初出場の年ではない。
2022年だった。
この日はスイムからうまく泳げず、その後もすべてがかみ合わなかった。
それでも前へ進み、10時間59分でフィニッシュ。
Bタイプの最終完走者になった。
ゴール前では、先に完走していた師匠が声をかけ続けてくれていたらしい。
しかし、疲れ切った私の目には、正面のフィニッシュゲートしか見えていなかった。
ふらつきながらラインを越えた直後、私の体を支えてくれたのは師匠だった。
大会スタッフが車いすを運んできた。
初めての佐渡では出なかった涙が、このときはこぼれた。
後日、地元企業から「Bタイプで最も長く走った選手へ」と、さまざまな品が届いた。
最下位は悔しい。
しかし、最後までコースに残り、記録に残るゴールへたどり着いたことは、今でも私の大切な経験になっている。
佐渡を6回すべて完走している師匠。酒席ではさらに豪快になる。
2025年、初めてフィニッシュできなかった
2025年、私は初めて佐渡でDNFを経験した。
高波の影響でスイム距離は短縮された。
スタートから約300m進んだところで、波に押し戻された選手たちが私の方向へ流れてきた。
選手同士がぶつかり、浜側へ戻される光景を目にした瞬間、強い緊張から呼吸が乱れ、過呼吸になった。
海の中で無理を続けることはできない。
私は自らリタイアした。
6回目の佐渡で初めて、フィニッシュラインまでたどり着けなかった。
DNFは悔しい。
しかし、安全を優先して競技を止めることも、長くスポーツを続けるための判断だと今は考えている。
大盛りのあとに普通盛り——本当に病後なのか @武蔵野うどん ながくら
82kmを走り終え、私たちは武蔵野うどん・ながくらへ入った。
うどんと天ぷら(8種)が食べ放題。
師匠は最初に大盛りを注文し、それを平らげると、2杯目に普通盛りを頼んだ。
病後初の90km超を走った人の食欲とは思えない。
こちらが驚いている間に、師匠はもう次の話を始めていた。
「次は、どこを走ろうか」
昨年末には、一緒に練習やレースへ行けないことを謝っていた人である。
それが今は、次のコースを考えている。
私は仕事の愚痴まで聞いてもらった。
前を走る立場は入れ替わっても、人生の師匠という関係は何も変わっていなかった。
60代の運動は、強度より「続けられる体力」
61歳になり、50代の頃との違いを感じることが増えた。
以前より呼吸が苦しくなる。
疲労からの回復も、驚くほど遅い。
若い頃は平気だった夏の暑さも、最近では明らかな敵になった。
だから、60代の運動では強度ばかりを追わない。
必要なのは、今日だけ速く走れる体ではなく、来週も、来年も続けられる体力だと思っている。
68歳の師匠を見て、7年後の自分を想像した。
私は68歳になったとき、これだけ動けるだろうか。
大きな病気や手術を経験しても、体と相談しながら、やりたいことへ向かえるだろうか。
ここまでできる体力を、今からつくっておきたい。
師匠の背中は、18年前から変わらず私の目標であり、今では7年後の自分を考える目印にもなっている。
「年齢に抗う」とは、無茶をすることではない
若い人と同じ速さを出したい、老いを認めたくないという意味ではない。
体力が落ち、回復が遅くなった現実は十分に分かっている。
それでも、「もう60代だから」と自分で可能性を閉じることには抗いたい。
抗うことで、もう一歩動く力がもらえる。
これは運動だけではない。仕事でもブログでも、やりたいことはやってみる。
うまくいかなければ、別の方法を探す。
何かを打開する方法は、まだ残っていると思っている。
体も仕事も、ここからつくり直せる。
次は横浜、そしてもう一度二人で佐渡へ
現在考えている次の一歩は、5月に横浜で開催される大会のショートディスタンスだ。
長い距離を走ることだけが目的ではない。
参加者が多いレースの混雑に慣れ、特にスイムで周囲の選手が近くにいる状況へ、少しずつ対応できるようにしたい。
そして2027年は、師匠と二人で佐渡国際トライアスロンへエントリーする。
出場できるかどうかは抽選次第だが、申し込むことは決めている。
もし佐渡の抽選に外れた場合は、私は「うつくしまトライアスロンinいわき」への参加を考えている。
予定どおりにいくとは限らない。
体調も、抽選も、天候も、自分たちだけでは決められない。
それでも、次の目標を口にできることがうれしい。
まとめ|合計129歳、私たちはまだ坂の途中にいる

【佐渡トライアスロンスイムスタート】
60歳を超えたら、趣味に時間を使うことも大切だと思う。
若い頃のように無理はできない。
呼吸は苦しくなり、回復には時間がかかる。暑さにも弱くなった。
それでも、やりたいことまで手放す必要はない。
師匠は大腸がんの手術を受けたあと、ウォーキングから一歩ずつ運動を再開した。
そして術後初の本格的なロングライドで、90kmを超える距離を走った。
18年前、前を走って私を引いてくれたのは師匠だった。
今回は私が前を走った。
それでも最後の坂では、師匠がまた私の横にいた。
やりたいことはやる。
そのための努力は惜しまない。
強度を上げるより、続けられる体力をつくる。
68歳の師匠と61歳の私。二人合わせて129歳。
私たちは、まだ坂の途中にいる。
師匠、次はどの坂を上りましょうか。
※佐渡国際トライアスロン公開情報☟
#佐渡国際トライアスロン & #日本ロングディスタンストライアスロン選手権
本日の競技内容について、風と潮の影響によりスイムの距離を半分に短縮し実施しています🏊
▶️A.RAタイプは1周回1000mを2周、スタート時間は6:30に変更
▶️B.RBタイプは1周回1000mを1周、スタート時間は8:00に変更… pic.twitter.com/cyDtxrgu2u— Triathlon Japan /公益社団法人トライアスロンジャパン (@Triathlon_Japan) September 6, 2026
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